スマイル・マスク

真っ白な不織布の上で、彼女の眼が三日月型に笑っている。
私は少しだけ、申し訳なさを覚えた。
マスクで顔の大部分が覆われているにも関わらず、彼女は私に気を遣って愛想笑いをしているのだ。
私がしていたのは、ただの間繋ぎの雑談に過ぎず、きっと面白いところなど一つも無かっただろう。
けれども、彼女は笑っている。後輩という立場にいるから、笑っているのだ。
とりとめのない会話を続ける傍ら、私はさりげなく彼女を観察した。
彼女の笑顔はとても自然で、私のような疑り深い性質でなければ、きっと話し手は一緒に楽しんでくれているのだと勘違いしただろう。
──少し垂れた、甘やかな目尻。
──瞳の下に形作られる、ふっくらとした涙袋。
それらはとても愛らしく、魅力的なものだったから。

よく笑う彼女とは対照的に、私はあまり愛想を振りまくタイプではなかった。
無神経という訳ではなく、むしろ他人に気を遣いすぎがちな性格ではあるのだが、この『愛想』という分野に関してだけは、私は努めて立ち入らないようにしていた。
これでも子どもの頃は、楽しそうに、面白そうにしなければ相手に失礼だと思い、よく笑っていたのだが、そんな風にして貼り付けた笑顔には余程違和感があったのだろう、あるとき母親に「気持ち悪い」と言われてしまい、それを境に私は笑顔を作るのを辞めた。
とはいえ、笑顔を酷評されたことに関して、私は傷ついたり、恨んだりはしなかった。

「「気持ち悪い」」

その言葉はあまりにも率直で、簡潔で、すとんと私の心に落ちてきてしまったのだ。
そして納得した。
私が今まで胸に抱き続けてきた薄ら寒い感情は、わざとらしい自分自身の演技によるものだったのだと。
また、これから先に演じ続けても、私の笑顔は一向に良くならないことも理解した。
きっと絵やスポーツ以上に、『愛想』という分野には才能が必要なのだ。
同じ言葉を、同じ種類の表情で発したとしても、発する人間によって全く印象が変わってくるのと同じである。
私には、才能が無かったのだ。

そう考えて、私は愛想笑いを辞めた。
無愛想だと評されることもあるが、私なりに他人に気を遣った結果なのだ。
そんなに尻尾を振って欲しいのなら、見え透いたおべっかを並べ立てて、気味の悪いスマイルをプレゼントしてやろうかとすら思う。大根役者に戻るのは造作もないことだ。
無駄な努力をした結果、他人を不快にさせるのはナンセンスだと思うから、やらないだけ。
私はこれからも、私を変えるつもりはない。

『愛想』という分野に思うところがある私だが、彼女の作り笑いに関しては、嫌いだとも愚かだとも思わなかった。
『愛想』という才能を持っているが故に、日常の、様々な場面で笑わなければならない彼女の気苦労を察すると気の毒に思うけれど、彼女の笑顔は本当に可愛らしく、人に癒しを与える力があった。
もし彼女が偽りなく笑ったなら、魅力的なんてレベルのものじゃないだろう。

私はいつか、心から笑った彼女の表情を見てみたいと思っている。
演技上手な彼女のことだ、真偽を見分けるのは至難の業だろうが、きっと、それを見つけてみせるつもりだ。
破顔した彼女の微笑みを前にしたとき、私も自ずと、本心から笑うことができるだろう。