迷惑料は唇で
二次会の中頃になると、彼女はしこたま酔っていた。
「じゃあさ、試しに付き合ってみる?」などと宣い、唇を寄せてくるものだから、私は少しく体を引いて、彼女の絡み酒を回避した。
本音を言えば、彼女の艶やかな目元やメリハリのあるボディライン、色気を孕んだ強引さなんかは、私の好みのど真ん中だった。
けれども応じなかったのは、正面に"彼"が居たからだ。
彼は彼女の元カレである。一ヶ月前、ほんの些細なことが大喧嘩に発展し、勢いで破局してしまったのだそうだ。
彼女は私に『あんなやつ、もう二度と会いたくない』などと話していたが、客観的には未練があるように思えた。
そんな中、幸か不幸か、本日の同窓会であっさり再会してしまったという訳である。
こうして彼女がわざとらしく私に言い寄るのは、私に好意があるからではなく、彼の気を引きたいからなのだ。
『貴方と別れたからといって、私は動じていないわよ。それどころか、こうして新しい相手を口説くこともできるの。別に貴方じゃなくたって、代わりはいくらでも居るんだから。ねえ、元カノが目の前で他人に色仕掛けをしているのを見て、貴方はどんな気持ちなの?』
そんな思いが、彼女の顔貌に分かりやすく表れている。
気持ちは分からなくもないが、同性である私に言い寄るというのはいかがなものだろう。
果たして彼は、彼女の思惑通り『悔しい』と思ってくれるのだろうか。
私だったら、彼氏を男に盗られても、驚きこそすれ悔しいとは感じないと思うけれど。
ノーマルとは違う世界に行ってしまった元恋人を、ただあっけらかんとした顔で、静かに見送ってしまうのではないだろうか。
私の予想は当たっていたようで、彼は私に迫る彼女を見て、居心地悪そうにはしていたけれど、悔しいとか、嫉妬だとかの感情を見せる様子は無かった。
それでも彼女は諦めず、明らかに彼を意識しながら、これ見よがしに私に対して意味深なスキンシップを仕掛けてくる。
他のクラスメイト達は歌って騒いで、学生時代の思い出や近況の話に花を咲かせているというのに、私達の空間だけが、妙な緊張感に包まれていた。
元カノと、元カレと、巻き込まれた私。なんだこれは。
理不尽な状況への苛立ちと、半端な接触への歯痒さで、自然と煽る酒の量も増える。
彼女のネイルが幾度目かに私の首筋に触れたとき、とうとう私は爆発した。
(しゃらくさいな)
頭を占める乱暴な感情のままに、私は彼女を壁に押し付け、驚愕で竦んだ舌を喰らった。
たっぷりと舐って呼吸を奪い、気が済んだところでようやく解放すると、彼女はすっかり"普通の"女の子の顔に戻っていた。
周りを見れば、彼どころか、クラスメイトも、そのほかの客でさえも、こちらを凝視して固まっている。まるで、時が止まってしまったかのようだ。
私は多少、しでかしてしまったことに思う所はあったものの、刺々しい態度で彼に言い放った。
「彼女のこと、いらないんなら、貰うけど。早くよりを戻したら?こっちも迷惑なんだよね」
彼は分かりやすくまごついた後、窺うように彼女を見た。
彼女は、先程までの小悪魔じみた振る舞いとは打って変わってしおらしく、恥ずかしそうに濡れた唇を拭っている。
これでいい。
今日あったことは、きっと面白可笑しく噂されるのだろう。
とはいえ、どうせこの同窓会が終われば、ほとんどのクラスメイトとは会うことも無いのだから、少しくらい悪評が広まろうとも構わなかった。
当てつけの道具にされたことはいささか不満だが、彼女の舌の柔らかさに免じて、糾弾するのはやめておく。
普通の人は、勝手に普通同士、愛し合っていれば良いのだ。