いずれ終わるから
「毎日毎日飽きもせず、よくやるね」
年の瀬の慌ただしさに忙殺され、くたびれて帰ってきた私に向かって彼女は呆れ顔でそう言った。
彼女の言うことも尤もだ。いくら他に頼める人が居ないとはいえ、ここ最近の私は残業に残業を重ね、挙句の果てにはサビ残や持ち帰り仕事を続ける始末で、自己犠牲が過ぎている。
一人で抱え込むのがそもそもいけないと思われてしまうかもしれないが、私の担当業務は法律の知識が無いと会社が傾く大惨事に繋がるので、そう易々とヘルプを頼めないのだ。
そんな中で無理を続けているおかげで、ここ数日は連続で退職する夢を見ている。
死んだ魚のような目で働いている現実の私とは違って、夢の中の私は終始笑顔だ。
お世話になったやり手の上司、素直で可愛い部下、足を引っ張ろうとする同僚、杜撰な仕事で迷惑をかける古釜など様々な人が居たが、全員に分け隔てなくお別れの挨拶を済ませ、円満に事務所を後にする。実に晴れやかな気分で。
まあこれだけ毎日懸命に働いていたら、仮に本当に退職することになってもマイナスの感情など何一つ生まれないだろうけれど、それにしてもあっさりしすぎていて小気味良い。なんて、リアルな願望の詰まった夢なんだろうと。
「ご飯用意してるけど、食べる?って言っても、カップラーメンだけどね」
やや物思いに耽っていた私の思考を遮って、彼女はダイニングを指さした。
テーブルの上にはサッポロ塩ラーメンの容器が二つ。傍らには、香辛料が好きな私の為に、七味と胡椒の小瓶が置かれている。
お礼を言って席に着くと、彼女は氷入りのグラスに水を注いでくれた。液体が氷に触れるやいなや、パキリと涼しげな音が鳴る。
私はラーメンにこれでもかというほど香辛料を振りかけて、熱々の辛い麺とキンキンに冷えた水を次々飲み下した。洒落っ気も何もないが、最高である。有難い。
「美味しそうに食べるね。いつものことだけど」
自分のラーメンが伸びてしまうのも構わずに、彼女は私を眺めて微笑んだ。
「あたしたち、こうやって添加物で不健康になっていくんだろうね。あたしがもっと、料理できればいいんだけど」
「何言ってるの。こうやって用意してくれるだけでも嬉しいよ。それに、お互い働いてるんだから本来は分担しないといけないところを、任せちゃってるわけだし」
「あたしの仕事はあんたと違って、入りたいときに気ままにやれるからね。拘束時間も短いし、この家だってあんたの家だし。ま、家賃みたいなもんね」
春を売って身銭を稼ぐ彼女は、三年ほど前から私の家で暮らしている。
と言ってもずっと居る訳ではなく、ある日ふらりとどこかに消えて、次に帰ってくるのは数か月後、なんてこともままあり、まるで猫のような振る舞いだ。
いわゆる臨時の居候──なのであるが、こうして家事をしてもらったり、夜はどちらからともなく誘って、抱いたり抱かれたりもしているので、同棲といった方が近いのかもしれない。
「私たち二人共あんまり料理は好きじゃないし、いっそサブスクでも契約しようか。そうすれば、一々料理しなくても宅配で食事を届けてくれるし。探せば健康的なメニューを出してくれる業者もあるでしょ、きっと」
「今の時代、そういうのもありかもね。時短だわ、時短」
「でしょ?それに、貴女が変に料理の腕を鍛えたら、また貴女が居なくなったときに私が辛いわ」
「そお?じゃあ頑張ってみようかな、逆に。あたしって天邪鬼だから、そんなこと言われるとかえってやる気出ちゃうわ」
「やめてよ、も~」
悪戯っぽい顔で彼女が笑う。私は漠然と、今のひとときが幸せだと感じた。
けれど、こんな日々もそう長くは続かないだろう。私にとって彼女は友達で、恋人で、パートナーで、家族だけれど、そのどれもが不確定だから。
私がどう思っていようと、彼女にとって私は、数ある拠り所の一つでしかないから。
「急に我に返るの、悪いクセ」
伏した私の瞼に彼女はキスを落とした。仕掛けるときのサインだ。彼女はこうやって、いつも私の憂いを目敏く気取って忘れさせてくれる。
「食べたばっかりで、お腹出てるよ」
「何つまんないこと気にしてんの。おいで」
唇の端についばむように口付けしたのち、彼女は私を寝室へと連れ立った。
ラーメンの臭いが残ってるだろうな、なんて考えたあと、これも彼女が言う”つまんないこと”かと思い直す。
ベッドのシーツを翻して、子どものように二人一緒にもつれ込んだ。彼女のうなじが鼻先に触れて、不意に私はどうしようもなく、彼女が愛しくて泣きたくなった。