異形の華
あの日、私は新幹線に乗っていました。
とかく速く進む乗り物だというのに、全く揺れもしない車両の中で、私はザラメのように瓶から錠剤をジャラジャラと放り出し、いつものようにそれを食みながら、ぼんやりと外の景色を眺めていたのです。
ガラス窓の向こう、次々と流れていく木々達を到底数えることなどできず──というか、真面目に数えていたら酔ってしまうものですから、印象派の絵画を鑑賞するときのように、平らな眼(まなこ)でそれらを見ていたのでした。
体内に落としたケミカルな異物が二十錠目を超えた頃には、穏やかに流れていた時間はますます速度を落とし、いつしか本当に時が止まってしまったのではないかと思う程、私の体は重くなり、思考までもが、ロジックや合理性を欠いた散漫なものになってゆきました。
酷く心地が良い一方で、付近の乗客の衣擦れや話し声などが、まるで刃物のように私の鼓膜に突き刺さりました。
聴覚が鋭くなるのは、薬の濫用時に限ったことではございません。
いわゆるリラックス状態であるときはいつも、怠けるなと言わんばかりに、神様は様々な音で私の頭を殴るのです。
良い考えが浮かびそうになっても、それらの雑音によってたちまち消えてしまうので、私はその度に『無人の星へ逝きたい』と願うのでした。
全てが邪魔……そう思いながら、ふと車内を見やると、いつのまにか私の前に、赤いワンピースを着た女の子が立っていました。
あれだけ居た喧しい有象無象は消失しており、そのうえ、景色は閉ざされた闇。
本来ならば慌てふためく場面なのでしょうが、薬のおかげでしょうか、私の心は至極落ち着いておりました。
「お嬢ちゃん、歳はいくつ?」
私が尋ねると、彼女は答えましたが、どの言語ともつかぬ意味不明な音声が流れるだけで、聞き取ることができませんでした。
少女の唇はクレヨンか何かで塗りつぶされたように真っ黒なモヤがかかっており……やがてそれは広がって、少女の顔面は完全に消え失せてしまいました。
「ウヂュウニ、イッダラ、ナニ、シタイ」
「宇宙?そうだね……無重力の中を、泳いで回りたいかな」
辿々しい日本語の問いかけに答えながら、一体この少女のどの部分から声が発せられているのか、私は少しだけ興味を持ちました。
「オマエハズッと、ヲワリを望ンできタ。私がそれを叶えてあげる」
言葉の末尾にさしかかるにつれて、彼女の口調はあっという間に滑らかになり、私が驚いて瞬きをした瞬間、幼い少女は目鼻立ちの端正な女性へと姿を変えていました。
「喉が渇いたと、思ったことがあるでしょう。今までに何度も、何度も。この世には存在しない水と静けさを求めて、お前は現(うつつ)を彷徨ってきた。もう良いんだ。もう私が許してやる。私という井戸水の中にお前を沈めて、永遠に、醒めない静けさへと落としてやる」
彼女が言い終わるよりも前に、私は救いを求めるように、彼女へ手を伸ばしていました。
今まで求めてきたもの全てが、彼女のそら寒い瞳の奥に秘められている気がしたのです。
「馬鹿め」
女がたっぷりとした布を翻すと、スカートの中には無数の牙が渦巻いておりました。
結局のところ、私は良いように喰われる鴨。如何に非現実的な世界へ迷い込もうと、それだけは変わりようのない事実だったのです。
「ああ、神様。まずは目玉を砕いてください。もう何も見なくて済むように。それから耳を。私を苛む全ての雑音から解放してください。最後に脳を。今後一切、何者にも失望せず、失望されなくて良いように。私の感情を殺してください」
牙が食い込む刹那、私が叫ぶと、女は虫ケラを見るように鼻で嗤いました。
「気持ち悪い。お前なんて、もっと早く死ねば良かったのにね」
そうだね、と答える前に、喉仏が壊されました。それは、今まで私が己に……そして他人全てに対して、思い抱いてきたことです。
(私は一生懸命生きたよ)
何の脈絡もなくそう思ったその時、どこか遠くで、車輪が線路から外れたような、けたたましい轟音が鳴り響いたのでした。