愚女から生まれたディストピア
アタクシは何においても秀でた女。
外見はもちろん、勉強、スポーツ、お家柄……全てにおいて、他人に引けを取ったことはございませんの。
けれど、特別天才的かといえば、そうではなく。いつも、二番手・三番手の位置に属しておりましたわ。
何の取り柄もない凡夫よりは余程良いけれど、目を見張るような何者かに、アタクシはずっと憧れておりましたの。
そして、それは偶然にも、同じクラスに居たのです。一見すると地味で根暗で、何もできない無能な女。
ヘアースタイルは毎日変わらず、何の洒落っ気もない芋臭いおさげで、コミュニケーション能力はもちろん皆無。おまけに体育や団体行動ではいつも失敗して、皆に迷惑をかける。
大人しくて真面目だから勉強ができるのかと思いきやそうではなく、むしろ馬鹿な部類。
誰が見てもカーストの最下層にあると分かる人となりでございましたから、その女は当然のように虐められておりました。
せめて本人に負けん気があれば、あれほど攻撃されることも無かったのでしょうけれど。
何も言い返さず打ちひしがれる彼女を面白がって、虐めはどんどんエスカレートしていきました。
アタクシが彼女に興味を持ったのは、ある放課後のこと。
日直だったアタクシは、学級日誌を片手に職員室へ向かっておりました。
通り道にある美術室にふと目をやると、例の無能な女が、大きなキャンバスに何かを描いておりました。
(あんなに生き辛そう女でも、趣味のひとつやふたつあるのね)
初めはそんな感想しか抱きませんでしたわ。
けれど、彼女に相対するキャンバスを見て、アタクシは衝撃を受けました。
その絵画は、とても言葉で説明できるようなものではございませんでした。
あえて表現するならば、この世の血肉、情動、死と犠牲。それらの概念を凝縮して一枚の平面に閉じ込めたような抽象画。あらゆる怨嗟の念を宿した、不浄の塊。
未知の芸術が網膜に焼き付いた折、アタクシは骨の髄まで魅入られて、その瞬間から彼女を”天才”だと定義したのです。
かといって、アタクシが虐められている彼女に手を差し伸べることはなく。
あの作品は、彼女を苛む劣悪な環境と、彼女の天賦の才が織り交ざって生まれたものだと認識しておりましたから、彼女の世界を壊すような野暮な真似は致しませんでした。
あの日から変わったのは、アタクシが時々美術室へ赴くようになったこと。
彼女は最初警戒しておりましたが、アタクシがただ単に作品を鑑賞しに来たのだと分かると、嬉しそうにしておりましたわ。
最後に彼女と話したのは、雪が降り積もる十二月のこと。
「い、今、これとは別にもう一枚描いてるんだ。メディウムを沢山使った、立体的な作品なの。こ、今回は今までに使ったことがない画材も取り入れてみようと思ってて……ふ、ふふ。きっと、見たら驚くよ」
相変わらずどもり混じりの気持ち悪い喋り方で、彼女はそう言いました。
彼女のことはともかく、新作は楽しみです。このアタクシを幾度となく唸らせた彼女ですから、次なる作品も傑作に違いないでしょう。
アタクシはせめてヒントを頂こうと、モチーフは何にするのか尋ねましたが、彼女は弱々しく微笑むだけで、何も答えてはくれませんでした。
事件が起きたのは、冬休みが明けて一週間経った頃。
長期休暇はとうに終わったというのに、三学期が明けても彼女は暫く休んでおりました。
クラスの者どもはいつものように、彼女を虐めてやろうと待ち構えておりましたけれど、一週間も経つとさすがに飽きて、彼女の机と椅子を隠したのを最後に、彼女の話をしなくなりました。
そんな彼女が、月曜日の朝にやっと顔を出しました。
彼女が学校のみならず、家庭の中でも虐待を受けているのだと知られたのは、そのときのことです。
久々に見た彼女の顔面は、まるで塗り分けたように半分が青く変色しておりました。もう半分も無事ではなく、何か、煮えた油を浴びせられたかのように、皮が化膿し、所々膨れ上がっておりました。
「ひっ、」そう呟いたのはアタクシだったのか、他の誰かだったのか、今となっては覚えておりません。
いじめっ子すらも絶句した教室の中、彼女は自分の席が無くなっていることに気がついて、暫し沈黙したのち、何故か愉しげに嗤いました。
そして、そのまま教室を後にしたのです。
彼女が発見されたのは、ニ限目の半ばのことでした。幾人もの教師が廊下を走り回っているので怪訝に思っていたら、アタクシ達の教室にいた担任も呼び出され、慌てて駆けて行きました。
元々彼女のことが気になっていたクラス一同ですから、この騒ぎが彼女に関わることだと察して、様子を見に行くまでに、そう時間はかかりませんでした。
一人が教室を抜け出すと、また一人、二人と……アタクシも彼らの後を追って、台風の目に向かったのです。
そこは、例の美術室でした。
見るな、入るなと叫ぶ教師らをなんとか押し退けると、そこには床に敷かれた特大のキャンバスがございました。
波々に盛り上げられたメディウムに包まれるような形で、彼女は伏しておりました。
赤、緑、黄色──色とりどりの絵の具が飛散しておりましたが、中でも一番広い面積を占めていたのは、赤。彼女から噴き出し滴り落ちた、鮮血の赤でございました。
酸化した赤、瑞々しい赤、薄く延びた血の螺旋や、泥の如く乾かぬ血溜まり。
誰が見ても絶命していると分かる、グロテスクとしか言いようのない光景。
けれども確かに、”破滅の美”が、そこにはあったのです。
あの一件は、家庭内暴力により突発的に行われた自殺だということで方が付きました。
学校及びその関係者には、何ら非が無いものとして。
元々誰からも愛されていなかった彼女ですから、学校には異議を呈する者はおりませんでした。
最期まで哀れな女。不遇には思いますが、アタクシだって、社会が下した結論に楯突くつもりはございません。
アタクシの首には、彼女の欠片が掛かっています。
ジェッソに張り付いた爪の破片。慟哭の最中、自らを犠牲にして己の体を切り刻むうち剥がれたのであろうそれを、あの日、アタクシは密かにせしめておりました。
身につけられるよう加工するのは思ったより難儀なことでございましたが、洒落たペンダントへと形を変えて、今は、アタクシの胸元に鎮座しております。
彼女を愛した者は居らず。しかし、彼女の才に関して言うならば、骨抜きにされた愚か者がここに一人居りますわ。
アタクシの拙い脳細胞が彼女の姿を忘れても、脳裏に刻まれた血の顛末だけは、決して風化することはないでしょう。